トワル ド ジュイについて

 トワル ド ジュイについて

トワルドジュイ(Toile de Jouy)とは、フランスの伝統的なプリント生地のことです。
日常風景や、神話、天使、植物などをモチーフにしたデザインを、木版・銅版を用いて生産された布です。
フランスではマリーアントワネットがいた時代から、現在に至るまで長く愛され、インテリアなどに多く使われています。


トワル ド ジュイの歴史

この生地は、1760年にフランスのイブリーヌ県ジュイ・オン・ジョザスの町の、クリストフ=フィリップ・オベルカンフ(Christophe-Philippe Oberkampf)によって設立された工場で作成されました。この工場はすぐに18世紀の最も重要な布産業工場の1つになり、装飾芸術の歴史にその名前を残しました。
ではその歴史を少しのぞいてみましょう。

ヨーロッパ諸国とインドで盛んに貿易が行われていた17世紀、木版を使ったインド更紗が欧州、そしてフランスに入り、その軽さと鮮やかな色使いで人々を魅了し、大流行しました。
そして大流行したインド更紗の技法は、ヨーロッパの各地で模倣されるようになりました。

しかし1686年、フランス国内の布産業を守るため、ルイ14世(Louis XIV)によってインド更紗の輸入・製造を禁止されてしまいます。
それが原因で、フランスはこの産業において他国に大きく遅れをとることになりました。

それでも、フランス国内のインド更紗の需要は留まることがなかったのですが、禁止令により、インド更紗の製造ノウハウを知るのは外国人のみでした。
禁止令から70年以上経った1759年、ようやく禁止令が解かれ、多くの外国人技術者がフランスへと呼び寄せられました。

外国人技術者の中で、パリで版画、印刷業に従事していたドイツ出身のクリストフ=フィリップ・オベルカンフ(Christophe-Philippe Oberkampf)は、
最も重要な役割を果たすことになります。

オベルカンフは禁止令の解かれた翌年、1760年にジュイ=アン=ジョザスにプリント布地の製造所を開きます。
ジュイ=アン=ジョザスには更紗の製造に必要な川があり、その水質がよいという理由で工場が建てられました。

工場は大きな成功を収め、1805年には工場員が1300名を超えるヨーロッパ最大規模の工場となりました。
また、ヴェルサイユ近郊という立地から、ヴェルサイユ宮殿に製品を納めることになり、1783年にはルイ16世(Louis XVI)より王立マニュファクチュアの称号を得ました。
この頃、マリーアントワネットもトワル・ド・ジュイを大変気に入って使っていたそうです。

 

フランス革命後もナポレオンからレジオン・ドヌール勲章を授与されるなど、オベルカンフは名声を博していました。

その功績から、ジュイ=アン=ジョザスの初代市長にもなり、自宅に教皇大使やマリー・アントワネット、ナポレオンの妻ジョゼフィーヌやマリー・ルイーズなどの著名な客を迎え入れていました。
このような事実からもトワル・ド・ジュイが当時高い評判を得ていたことが分かります。

工場はオベルカンフの死後衰退し、1843年、83年間に及ぶ歴史に幕を閉じました。

当時の工場はほとんどが取り壊され残っていないそうですが、ジュイ=アン=ジョザスのグランティヌ(L'Églantine)城に「トワル・ド・ジュイ博物館」が開設され、トワル・ド・ジュイの素晴らしいコレクションを現在でも目にすることができます。